古本屋開業、一年の節目に

 ひっそりと、古本屋を開業して一年になる。

 実店舗があるわけではない。通販専門だ。しかし、いつしか店を開きたいと考えている。

 開業してからの一年は怒涛の勢いだった。あっという間に時間が過ぎていくものだから、常に焦燥感に囚われているような、落ち着かない日々を過ごした。体調は崩していないけれど、睡眠の習慣は頻繁にぶっ壊れた。

 社会から逃げるようにして、経営の知識なんて一切ない状態から始めたものだから、失敗の日々である。資金欲しさにアルバイトをしていた時期もあった。

 最初の頃はせどりから始めた。ブックオフに行って、なんか良さげで安い本を買い、それをヤフーショッピングで売る。

 すぐにこれは馬鹿々々しいと気がついた。利益があまりにも少なすぎる。今のブックオフは相場に沿った価格設定をしているので、同じ値段で出しては意味ないし、かといって高い値で出しては売れやしない。売れたとしても微々たる利益。経費は賄えず、労力を無駄にしただけ。考えなしのまま業界に足を突っ込んだ矢先に、思いっきり殴られた。賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶをそのまま実行した。そのせどり人海戦術で解決している人はいるけれど……。

 そこで、世の古本屋はどうやって本を仕入れているのかを探した。何も知らない一般人が思いつくものはお客からの買取だろう。しかし店はないし、宅配しようにも駿河屋やブックオフのような強者より選ばれるわけがない。

 ちょいと探して見つけたのはこちらの記事。

note.com

 バリューブックスこと内沼さんの記事だ。

 ここで初めて古書組合なるものの存在を知った。

 さらに探してみると、千葉県古書籍商組合を発見。さっそく見学の予約をし、交換会の様子を見させてもらった。

 面白そうな空間だった。近所の新刊書店やブックオフで見たこともない本がずらりと、束になって並んでいた。

 見学だけの場合、本の値段は確認できない。組合に入ってからわかったけれど、規約として、本の値段は組合秘だから漏らすことは許されないのである。商売人として考えればこれは当然だろう。八百屋や魚屋の人が「この商品は○○円で仕入れたんだ。安いだろ」なんてアホぬかすわけがない。

 約半年後に古書組合に加盟することができた。審査が厳しいとかそういう理由でなく、単に金が無かっただけである。

 組合への加盟がひとつの転機となり、仕入れが圧倒的に楽になった。卸値で本を大量に手に入れられるので、ようやく商売の基礎の組み立てが始まったようだった。

 毎週のように組合の交換会に参加していく中で、分かってきたことがある。

 古本屋は知識勝負だと、まずは感じた。

 例えばコンビニやスーパーの場合、売れ筋の商品というものは既に決まっているし、情報ならメーカーが出してくれる。清涼飲料水ならばコカ・コーラ三ツ矢サイダーなど。日販で言えばおかめ納豆や相模屋など。数を上げればキリがないほどに情報があるけれど、メーカーがこれが売れますよと提供してくれるので困らない。販促で売りたいものはお上が決めてくれるし。個人で八百屋や魚屋肉屋やるにしても定番が決まっているのだからそれに沿えばいい。独自性とか工夫はその後。

 古本屋の場合、情報収集は自分自身の仕事になる。

 コンビニやスーパーなら季節で売れるものは変わってくる。古本屋の季節は、四季ではなく世間のように思う。こういっちゃ悪いが、誰か有名人が死ねばその関連書籍やCD・DVDが売れたりする。前向きな面で言うなら、著名人が大々的に宣伝してくれたりすれば売れる。これはスーパーやコンビニでも同じ。アニメや映画の影響もあるし、盛況を博すSNSや衰退の一途をたどるテレビも侮れない。Youtubeなどで紹介された本がパッと売れるのだ。

 ただ、世間に左右されるといっても、所詮は一時的だ。継続して売れるかといえばそうではない。やはり鮮度、賞味期限がある。実体験で言えば、「僕の心のヤバいやつ」の作者こと桜井のりお女史。女史の作品がアニメ化した際に、完結した作品である「みつどもえ」の全巻セットを手に入れたことがあった。出品してものの数日で売れた。僕も本を読むから、買った人の心理がなんとなくわかる。新しい作品を見る前に、作者の以前の作品が読みたくなるのだ。もちろん、作品を読んだあとも同様である。また、発売されたばかりの新刊を僕自身が購入し、その後、自分で傷をつけてしまい、傷が嫌だったので新しく初刷のきれいな新刊を買い直したことがあった。余った傷つきの書籍を古本として卸し、出品。数時間で売れた。

 ベストセラーの新刊などは賞味期限があるものの、世間の変化によって時には熟成品としての価値が出てくる。古本屋の面白いところのひとつだけれど、悪い癖に繋がりやすい。”いつか売れる”と考え、仕入れてしまうことだ。よくやらかす。

 コカ・コーラのような売れ筋の定番を、一定の量で常に仕入れられないのが、古本屋の大変なところのように思う。組合に出品される商品は毎週違うし、ブックオフせどりに行ったところで、同じ商品が何冊もあるとは限らない。ベストセラーなら腐るほどあるけれど、言葉通り腐ってる、賞味期限が切れてる場合が多い。

 しかしそこは古本屋。ただ漠然と古い本を売っているわけではない。流通が少なくて希少価値のある本を売るのだ。もちろん、それ以外の方法でも商売は可能だ。僕の場合はあくまで個人、孤独に仕事をしているから、その結論に至ったに過ぎない。時代によって考えを改める必要もあるだろう。これは今の考えだ。

 流通が少なくて希少価値がある本を知るには、自分が本を買いまくるか、組合の同業者に聞くか、様々な方法がある。小さいころから本を読んでいるなら商売に結び付けて理解もしやすいけれど、残念ながら僕の家に本棚なんてものはなかった。無教養な人間から産まれるのは無教養で無知蒙昧な俗物である。大人になれば分かる、が父親の口癖だった。教育してくれた? いいえ、何もしてくれませんでした。放任というより放置です。とりあえずその自己責任論はおいてください。思考による気づきなる知見を得てからどうぞ。

 で、僕は他人と関わるのが極端に嫌な性格で、今までの会社やアルバイトにパートを辞めた理由の全てが人間関係なものだから、同業者に聞いて知識を深めるなんてコミュニケーションは取れない。なので買いまくることにした。当たりを引くまで買うのである。実際、自分が本を読むことで得た目利きと無駄に強い感受性を頼りに買い続け、高い値段で売れる、速攻で売れる、時間はかかるが売れる、全く売れないものの傾向がわかってきた。流石に数万円もするような高額商品はまだまだ資金不足から手を出せないけれど、組合の交換会で開札の手伝いに関わっていることや卸値の相場を見つづけている経験は間違いなく蓄積している。いずれは取りにいってやると、野心を燃やしているのだ。……炭にならなければいいが。

 事実、効率は良いし合理的に思う。そもそも数を捌かなければならない商売なのでどのみち数千から数万冊の在庫は必要になってくる。尊敬する先輩も最低1万冊は必要と言っていたので、自分の経験のためにもこの方法は続ける。というか、同業者みんなが大量に仕入れていくから、必然的にこうならざるを得ない感じだ。

 余談として高い値段で売れるものは例えばコインカタログ。電子書籍化しているけれど、やはり紙の本を必要としてくれる人は必ずいる。速攻で売れたもので言えば上に書いたような賞味期限のある本もそうだけれど、例えば子母澤寛の二丁目の角の物語。出品して2時間くらいで売れたから、検索をかけていた人とタイミングが合致したのと、Amazonで高い値付けをされていることが要因に思う。日本の古本屋で過去に売られていた値段を運よく見つけられたから、その値段に近い価格をつけた瞬間にこれである。警視庁物語も同じく、早くに売れた。時間はかかるが売れるものは冒険・海洋小説、戦争系の書籍など。また、三島由紀夫のように常に需要ある小説などがそう。車関連の書籍も同様だ。全く売れないのはオンラインサロン系自己啓発プロパガンダ系。お客が多い密林ならまあ売れるだろうけれど安い。僕はヤフーに跪いているので客層が違う。売れないし安いから欲しくない。仕入れたい商品に混じっていることもあるので、処分に困ったりもする。交換会に戻しても、誰も見向きしてくれない。だからまぜr

 と、あーだこーだと試行錯誤を繰り返していくうち、いつの間にか一年が経っていた。

 始めからヤフーで販売していたけれど、組合に参加してからAmazonや日本の古本屋、メルカリにも展開していた。しかし、Amazonはクレカ会社みたいに暴利を貪ってくるので辞め、メルカリは安くして安くしてと鬱陶しく手数料も高いので辞め、日本の古本屋は使い辛いという理由で辞めた。ただし日本の古本屋に関してはいずれ復活させると思う。csvの使い方を覚えたからね。Cassava万歳。

 今のところヤフーオークション(PayPayフリマの併売含む)での売り上げが中心。ショッピングの売り上げは全然ないけれど、規約の改定を頻繁に行っているから、それで検索妨害になっている変な業者が消えてくれれば多少はマシになるだろうか。

 対面しない通販での販売にしても、やはり客商売であることは絶対に忘れてはならない。

 オークションで昔の慣習からか、取引時に挨拶をかけてくれるお客にはちゃんと返してなくて申し訳ないけれど。……なんだか即落ち2コマのような展開だ。

 僕が言いたいのは、お客が欲しいものを理解すること。つまり需要だ。

 経営はもとい経済は好循環で成り立っている。こういうものが欲しいというお客の需要があり、創造する企業があり、製造して形にする企業があり、運送する企業があり、橋渡しする企業がいる。ちなみに、この好循環に横槍をいれて妨害しているのが転売ヤー。循環に関わる全員を侮辱しているも同然。金儲けだけが目的ではない。需要に対する満足度や幸福感などの人の心も関わっているものだ。

 んで、僕らのような古本屋はお客から買い取って、自分の店で値付けするか市場に流すかして別の店に買ってもらい、また別のお客へ渡すのが主なお仕事。本は長いこと保管できるけれど、時には邪魔になる。持ち主が逝去して処分に困った、引っ越しする際にもっていけなくなった、単純に興味が無くなってしまったなどなど、理由は様々。そこで古本屋の出番。処分業者にお願いするとお金がかかってしまったり、手間があるので、古本屋に処分してもらうわけだ。まあ、買取価格が低いのは、商売の鉄則である安く仕入れて高く売るをしなきゃ古本屋を維持できないし、飯が食えなくなるから。この商売を始めてから、本当にゴミみたいな本が量産されていることに驚く。その類の本は値をつけられない。スタージョンの黙示とやらだ。ただ、本当に価値ある本は高く買う。そこに嘘をついてしまったら矜持が壊れてしまう。たまにやらかすけれど……。そういや、骨董品を売りに出したら、実はとんでもなく価値のあるもので、裁判になった例がフランスであったね。売りに出した人が負けたけど。

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 話を戻そう。お客が本を買うとき、どういう理由でその本にたどり着くかを考えたりする。僕は車のカタログを売っているのだけれど、このカタログを買う人の気持ちはよくわかる。自分の乗っている車のカタログは取っておきたい、好きな車だけど所有できないから眺めるために買う、カタログを蒐集している、絵・デザインの参考になど、理由はいくつもある。僕は商売しているから経営学の本を買ったり、商いといえば船場だ、ということで船場関連の書籍を買っているし、趣味で小説を書くから古典作品はもちろん小説の技巧やストーリー、小説作法、文学とはなにかなども買った。創作の極意と掟を買い、筒井先生の「作家としての遺言」を読んでから意味なかったんかーい! と叫んだりもした。

 古本屋は数と闘う商売だからいっつも数字と物量に潰されそうになったり、格闘しているのだけれど、たまには立ち止まって考えていないと、商売人としても人としても死んでしまう感覚がある。新刊書店がPOSレジでデータを集めて商品を選んだら、売れ筋ばかりの店になって安定しているけれどつまらない店になったり、すでにAmazonがそうであるように、AIとロボットを活用して機械的に商品を売るようになったら商いではないように思う。人間嫌いで人と関わるのが嫌な僕でも、商売にとって人と人との関りは重要だと感じている。もちろん、商売をするうえで割り切らなければならないことはあるし、儲けが無ければ飯は食えないし、冷淡な判断を下す必要もある。けれど、”いつか売れる”は頭の片隅に置きつつ大切にしていきたい。紙の本を必要としてくれる人はいるはずだから。